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    <title>クラシックCDデータベース化計画</title>
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    <description>個人で所有するクラシックCDを整理するための支援サイト</description>
    <copyright>Takeharu Itani</copyright>
    <language>ja-jp</language>
    <lastBuildDate>Thu, 09 Sep 2010 09:05:48 +0900</lastBuildDate>
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      <title>クラシックCDデータベース化計画</title>
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      <title>新国立劇場　ワルキューレ                                      </title>
      <link>Concert.aspx?date=2009/04/12</link>
      <description>プレミアが２００２年ということなので、最初に見てから７年の月日が経過しているのだが、何度見ても面白い演出だ。
三幕の緊急治療室に見立てたバルハラも、プレミアの時に見た衝撃こそ無いものの、よく考えたものだと思う。
二幕のフンディングの登場シーンも、マジンガーＺのようで、思わずニヤリとしてしまう。

キース・ウォーナの演出では、この「ワルキューレ」以降、大きな赤い矢印はヴォータンの計画を象徴し、緑の矢印はヴォータンの計画に対する障害を象徴している。
そう考えると、フンディングの家に草のように生えている緑の矢印は、単なる草ではなく、フンディングの存在がヴォータンの計画の障害になることを暗示していたことに気がついた。
全編を見てから、改めて見ると、新たな発見があるのも楽しい。

歌手の中では、ジークリンデのマルティナ・セラフィンが抜群に素晴らしかった。
何とも気品のある歌手で、「ばらの騎士」元帥夫人、「フィガロ」伯爵夫人などの貴族の役が多いのも納得。
声量も他の歌手と比べて抜きんでていて、ブリュンヒルデのユディネット・ネーメットや、ジークムントのエンドリック・ヴォトリッヒは可哀そうだった。
特にジークムントは後半バテバテだったが、それでも十分良い出来で、マルティナ・セラフィンが良い出来だったということだと思う。
マルティナ・セラフィンに音量でヒケを取らなかったのは、唯一クルト・リゲル。
聞くのはオックス男爵で来日して以来で、少なくとも声量ではジークムントを圧倒していた。

この日は午前中は立川で仕事。
昼に初台に移動して、見終わったらまた立川に戻って仕事と、まあ本当に忙しい日だった。
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      <category>コンサート</category>
      <pubDate>Sun, 12 Apr 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>Concert.aspx?date=2009/04/12</guid>
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      <title>年末年始の出来事(2)</title>
      <link>Diary.aspx?date=2009/01/12</link>
      <description>今年のニューイヤーコンサートの指揮者はバレンボイムだった。
僕の中では「ニューイヤーコンサートが似合わない指揮者」第三位の指揮者だ。
（ちなみに１位はブーレーズ、２位はブリュッヘン）
中東での緊張が高まっているこの時期、「青き美しきドナウ」の前の恒例の新年の挨拶で、ユダヤ人のバレンボイムが何を発言するか注目していたが、「中東で人間の正義が為されますように」という簡潔なものだった。
マゼールやムーティだったら、色々とベラベラ喋ったに違いない。
バレンボイムの場合は、故エドワード・サイードと親交があって、パレスチナに対しても同情的だから、どちら寄りでもない短い言葉で思いの丈を述べたのだろう。
観客もバレンボイム微妙な立場は分かっているから、好意的な拍手で応えていた。
オーケストラには自由にやらせていたように思う。
その分「ラデツキー行進曲」の観客に対しての指揮は厳しかった。（笑）
来年はプレートルの再登場ですか。
やっぱり、ああいう指揮者のほうが似合ってるね。
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      <category>日記</category>
      <pubDate>Mon, 12 Jan 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>Diary.aspx?date=2009/01/12</guid>
    </item>
    <item>
      <title>年末年始の出来事(1)</title>
      <link>Diary.aspx?date=2009/01/08</link>
      <description>とにかく仕事が忙しい。
こんなに忙しいのは久しぶりだな。。。
年末年始の出来事を幾つか。

パソコンが壊れる。
そういえば、壊れるのは、いつも年末のような気がする。
ハードディスクのクラッシュに備えて折角RAID1にしたのに、壊れたのはマザーボードのほうだった。
しょうがなく、マザーボードとＣＰＵ（今回は豪華に、出たばかりのintel core i7にした）とメモリーを買って、大連への出張費がほぼ消えた。
RAIDを組んでいたハードディスクで立ち上げようとしたのだが、上手く起動しない。
泣く泣くOSから再インストールする。SonicStageに入れたCDの情報もパー。
何度入れなおせば、いいのだろうか。。。
更に、これを機会にインストールしたSonicStageVの仕様劣化ぶりに驚愕。
いっそipodに乗り換えてやろうかと考えたのだが、向こうの仕様も似たり寄ったりというか、Sonyがipodの仕様に合わせているようで、どちらを使っても苦労は同じようだ。
それでも流石にキビキビ動くようにはなった。
Vistaのパフォーマンス評価は、「ゲーム用グラフィックス」以外が5.9。
いっそビデオカードも新しくして最強パソコンでも目指そうかと考えた年末の１日だった。
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      <category>日記</category>
      <pubDate>Thu, 08 Jan 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>Diary.aspx?date=2009/01/08</guid>
    </item>
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      <title>帰国、旅順のこと</title>
      <link>Diary.aspx?date=2008/12/08</link>
      <description>何とか無事に帰ってきた。
大連の三週間目、四週間目は忙しく、帰国後休む暇も無かったため、更新できなかった。
11/23日、旅順に行くことが出来たので、そのときの事を書こう。

旅順は今でも軍港なので外国人の旅行は制限されていて、東鶏冠山、２０３高地、水師営の３箇所しか許可されておらず、日本人１人で行くのは難しい。
ホテルにいた旅行会社に聞いてみると、ツアーが用意されており、ガイドさん一人と運転手さんを一人昼食つきで８５０元ということで、日本円だと現在のレートで１２０００円ぐらい。
仕事も忙しく、その前日にはかなり飲んで体力的には厳しかったが、この機会を逃すと、もう訪れることが無いかもしれないので行ってみることにした。

まずは東鶏冠山に向かう。
当時は木も無く丸裸の岩山のような所だったそうだが、今では植林がされて普通の山のようになっている。
ガイドさんも学生のころは勤労奉仕で植林に来たそうだ。
当時の要塞の跡が今でも残っていて、壁には至る所に弾痕が生々しく残っている。
壁の色は黄色っぽく、ガイドさんの話では現地には材料が無いので、ロシアから運んできたものを使ったのだそうだ。
日本軍はこの要塞の攻略までに９０００人の死傷者を出した。
陥落時にロシア軍のコントラチェンコ少将も戦死し、ロシア兵の中で最も人気の高かったこの将軍の戦死で旅順戦が終わったという人もいる。

次は２０３高地。
ここも当時は岩山だったようだが、今では植林がされている。
当初日本軍もロシア軍も重要視していなかった場所なので、東鶏冠山のような大規模な工事はされていないが、山頂付近には塹壕跡が残っていた。
写真で見て、少し小高い丘のようなイメージ持っていたのだが、実際に行ってみると、日本軍が攻めかかった斜面は急峻な崖で、しかも標高が高い。
ただ登るのでさえ大変なのだから、苦戦するのも頷ける。
山頂には乃木将軍が建てた爾霊山の碑が今でも残っていた。
日本人の観光客が多く、団体さんもいれば、当時の旅順の重要性を、ガイドさんに熱心に語っているお年を召した方もいた。
観光客向けの店があって、記念に250元（4000円弱）をはたいて日露戦争の写真が載っている本を買う。
帰ってから良く見ると、「歴史群像シリーズ59」と書いてあって、学研の本のパクリであることに気がつく。(笑)
まあ、こういうのも一つの思い出だな。
本物と比べてみるのも一興かもしれない。

この地が戦略上重要だったのは、旅順港が一望に出来るからである。
当時のロシア艦隊は日露戦争開戦当初、太平洋艦隊が旅順に、有名なバルチック艦隊は現在のサンクトペテロブルグにいた。
何れか一方と戦うならば勝機はあるが、合流されると日本の連合艦隊の勝ち目は極めて少なくなる。
艦隊が敗れると、大陸に渡った陸軍の輸送路は完全に絶たれるわけで、日本の敗北は間違いないものになる。
ここを奪取した日本軍は、すぐに弾着観測隊を送り、旅順艦隊を全滅させた。
そのような場所だけあって、景色は抜群によく、旅順港が一望に出来た。
ガイドさんによると、霧がかかって見えない事もあるそうで、９月は殆ど霧だったそうだ。
もう少し港に隣接している場所かと思ったが意外と遠くて、当時の大砲でもこの距離を正確に狙い打つ事が出来たのだと、変なところに感心した。

最後は水師営。
この近くで昼食を取ったが、完全に日本人の口に合わせた中華料理で、普通の店で出しているものとは違ったが、まずまず美味しかった。
水師営はロシアの降伏後、乃木将軍とロシアのステッセル将軍が会見した場所である。
周囲は中国のらしい雑然とした感じの場所だが、ここだけは当時の農村の雰囲気が残っている。
棗の木の近くで撮影した記念写真が有名だが、当時の棗の木は残っておらず、今のは三代目なのだそうだ。
水師営の見学後帰途につく。

旅順での戦死者は、日本軍15400人、ロシア軍2～3000人、戦傷者は日本軍45000人、ロシア軍18000人、どちらが勝ったのかわからない数字だが、亡くなった日本人とロシア人、それに中国人も巻き添えになって多くの人が亡くなったり傷ついたりしているはずだ。
亡くなった全ての方のご冥福と、彼の地が「戦略上重要な場所」ではなく、ただの見晴らしの良い丘であり続けることを祈らずにはいられない。

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      <category>日記</category>
      <pubDate>Mon, 08 Dec 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>Diary.aspx?date=2008/12/08</guid>
    </item>
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      <title>大連　二週間目</title>
      <link>Diary.aspx?date=2008/11/16</link>
      <description>まず最初に大連で事故が起きないというのは撤回。
やたらと多い。
今日でホテルと会社間を９往復したわけだが、５回ぐらいは事故を見ただろうか。
あれだけ無茶苦茶な運転をする割には、少ないというべきかもしれないが、日本に帰るまでに事故に会わない事を祈るばかりである。

仕事のほうは順調とは言えないが、やっと進みだした感じだ。
ただ、終わるか終わらないかギリギリの状態で、しかも来週からは私が設計を担当した機能のテストが目白押しなので、まだまだ気は緩められない。
日本に残っているメンバーも大変な思いで仕事をしているので、こちらも頑張らなければ。

そういえば先々週はたまたま職場の防災訓練がある日に当たってしまい、私も参加した。
全く緊張感も無く、ダラダラと非難する様子は、日本の防災訓練と同じで、消防署の偉い人の話を殆どの人が聞いていないのも同じだ。
最後に消火器を使った消火訓練で締めるのも日本と同じだが、「参加したい人？」と聞かれて、結構多くの人が手を上げて参加するところは、恥ずかしがり屋が多い日本とは違うところかな。

今日で出張は半分終了で、残りは二週間、やっぱり一ヶ月は長い。。。
</description>
      <category>日記</category>
      <pubDate>Sun, 16 Nov 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>Diary.aspx?date=2008/11/16</guid>
    </item>
    <item>
      <title>大連　一週間目</title>
      <link>Diary.aspx?date=2008/11/09</link>
      <description>大連に来て一週間、仕事は予想していたとは言え、やっぱり厳しい。
でもこちらの方は良い人ばかりで、人間関係での問題は無い。

大連に来てビックリしたのは、タクシーの運転の荒さだ。
とにかく荒い。
こちらは右側通行で日本とは逆なのだが、「え？このタイミングで行く？」というタイミングで左折するので、その怖いことといったら。。。
やたらと車線変更をして前に行こうとするし、センターラインは、有って無きが如く、夜中で車どおりが少ないと見るや、赤信号でも行こうとするし、これで良く事故が起きないと思うが、お互いに分かっているから、対応可能なのだろう。
多分大連の人が、日本のタクシーを利用したら、何をチンタラ走っているんだと思うんだろうな。
ちなみに、こちらでは右折は赤信号でもＯＫ、日本でいうと、全ての道路が左折専用レーン付きという感じ。

ジャン・フルネが亡くなった。
９５歳だからしょうがないとはいえ残念だ。
二度ほど聞きに行ったかな。
美しい指揮者でした。

バルトリのリサイタルが中止に。
どうやら日本のプロモーターと、バルトリのマネージャー間で公演条件に関するトラブルがあったもようで、やむを得ずということらしい。
近頃では、あまりこういう事は聞かないけど、大スターともなると、やはり色々あるんだろうな。
今度は、いつ来てくれるのだろうか、今度こそベストな状態のバルトリを聞きたい。
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      <category>日記</category>
      <pubDate>Sun, 09 Nov 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>Diary.aspx?date=2008/11/09</guid>
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      <title>中国出発</title>
      <link>Diary.aspx?date=2008/11/04</link>
      <description>決まったときは、まだ先の事と思っていたら、もう中国に行く日になった。
昨日は中国行き前、最後のオペラを見た。
リゴレット役のラード・アラネッリが素晴らしかった。
既に椿姫でジェルモン聴いているのだが、主役を歌うと印象が違って、本当に立派だった。

１ヶ月も出かけるのに、オペラのチケットは無駄にならなかったが、コンサートは３つも行けなくなった。
チケットは半分ずつぐらいなのに、オペラ運が強いというか、コンサート運が弱いというか。。。
気をつけて行って来ます。
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      <category>日記</category>
      <pubDate>Tue, 04 Nov 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
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      <title>人間ドック</title>
      <link>Diary.aspx?date=2008/10/31</link>
      <description>人間ドックの結果が来る。
いわゆる脂肪肝は相変わらずだが、仕事が忙しくて夕食が遅い割には、それほど悪化はしていなかった。
かなりまずいという自覚があって、覚悟していたのだが、経過観察で収まった。
中国に行って、増えるか減るか？

九十九電気がつぶれたようだ。
一時は秋葉原でもかなりの店舗があったのに。
でも一度も買い物をした記憶が無い。
なんか品揃えも価格も中途半端だったような気がする。
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      <category>日記</category>
      <pubDate>Fri, 31 Oct 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
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      <title>１週間後は大連</title>
      <link>Diary.aspx?date=2008/10/29</link>
      <description>いよいよ、中国に出かける日まで一週間となった。
心配していた総選挙は当分なさそうだが、一週間後の今日は、大連のホテルかと思うと、迫ってきた感が募る。
前任者の話を聞くと、予想外に過酷な職場らしい。
何でも中国の会社の進捗管理まで助けなければいけないらしく、下請けの人間がそんなことをして良いのかという疑問は湧くが、全体がウマク回れば、それでも良いか。
大連を調べてみると、中国でも最大級の日本語学校があり、日本語を話す人が多いらしく、中国の中でも割と親日的な土地柄らしい。
近くに日露戦争の激戦地、旅順もあり、このような機会でも無ければ訪れることはない場所なので、行ってこようかと思っている。
今でも軍港のはずなので、どこまで行けるのかはわからないが、「坂の上の雲」は好きな本の一冊なので興味はある。
少しでも楽しみを見つけて、頑張るしかないね。
</description>
      <category>日記</category>
      <pubDate>Wed, 29 Oct 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>Diary.aspx?date=2008/10/29</guid>
    </item>
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      <title>新国立劇場　トゥランドット                                     </title>
      <link>Concert.aspx?date=2008/10/13</link>
      <description>今シーズンの新国立劇場の開幕を飾るのはトゥランドット。
この作品は、いわゆる「ドーリア事件」との関連性について言われることが多い。
プッチーニの妻エルヴィーラに、プッチーニとの不倫を疑われて、服毒自殺をしたドーリアを、原作の登場人物には出てこないリューとして加えたと考えられている。
プッチーニはリューの自殺以降を作曲することが出来ずに亡くなってしまい、残りの部分をアルファーノが補筆した。
トゥランドットの演出を任せられた演出家なら、ドーリア事件を演出に絡められないかと考えるのではないだろうか。
今回の演出はプッチーニが作曲した部分を、ドーリア事件の劇中劇として、アルファーノ補筆部分をプッチーニとエリヴィーラの和解のプロセスとして描いた。
実際の事件でも、ドーリアの遺族に訴えられたエルヴィーラを、プッチーニが懸命に弁護をしたようで、気の多いと言われるプッチーニだが、奥さんは愛していたようだ。
その姿は、リューを死に追いやった冷酷なトゥランドットを、それでも愛したカラフとダブって見えないことはない。
良く考えたなとは思うが、台詞とは合っていないので、少し無理やりな感じはした。

幕が上がると舞台にはイタリアの広場が広がり、屋台が置かれている。
プッチーニやエルヴィーラを含む登場人物が三々五々現れるが、この段階では音楽も台詞も無く、衣装も普通の洋服だ。
そこに今回の演出の狂言回し、旅の道化師が現れ、プッチーニとエルヴィーラにトゥランドットの衣装を渡すと、有名な序奏が流れ、広場に集まったイタリア人たちが中国風の衣装に着替え始め、劇中劇が始まる。
劇中劇であることを強調するためか、最初に幕が開いてからは幕が下りない。
幕が終わると、登場人物たちがスゴスゴと舞台袖に下がっていく光景は新鮮で面白かったが、最後まで幕が下りないので拍手を止めるタイミングが掴めなかった。
その他、衣装もわざと安っぽく見える生地を使ったり、場末な雰囲気を出したり、とにかく劇中劇であることを強調し、観客が感情移入することを禁じるかのような演出だったのだが、それでもリューの死の場面が真に迫って聞こえるのは、プッチーニが自分自身の体験を血で書いたような生々しい作品だからなのか。

歌手もオーケストラも、なかなか良かった。
トゥランドットのイレーネ・テオリンも、カラフのヴァルテル・フラッカーロも、難しい役だけど、安心して聞いていられた。
リューの浜田理恵、ティムールの妻屋秀和も良かった。
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      <category>コンサート</category>
      <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>Concert.aspx?date=2008/10/13</guid>
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